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Workshop of Takaniwa IB:Historical Approach
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古代・縄文古代音楽1沖縄民謡と台湾民謡

2005年2月21日更新

古代、縄文遊里日本東西文化

1)ー1 沖縄民謡と台湾民謡
(より古い形式を保存する東アジア民謡比較へ

具体研究
総観沖縄民謡歌掛け流歌・)|台湾民謡
展開内容

情報リンク
□総観□
■古代音楽を研究する上で最も困難なのが、実際の音を体験することになる。実際に完全な形で保存、継承されていることが稀なため、最も近い形であるだろうものを推論、仮説して、それを研究する方法しかないのです。そうした中で最も強力な情報データベースが故小泉文夫氏の研究成果をまとめた、東京芸術大学のサイトです。まだ、完全なものではありませんが、日々改良されています。是非、一度アクセスしてみてください。参考小泉文夫Profile:1927年東京生まれ。1951年東京大学文学部美学美術史学科卒。卒業論文では西洋音楽を扱うが、大学院では日本音楽を研究対象とする。1958年に刊行された『日本傳統音楽の研究』は、日本民謡の研究法と音階の理論的研究における斬新なアプローチとして注目の的となる。1957年から約1年半、インドに留学。帰国後、インド楽器のデモンストレーション付き講演活動を精力的におこない、インド音楽ブームの火付け役となる。1959年より東京
藝術大学音楽学部非常勤講師、後に常勤講師、助教授、教授。同大学時代、わらべうたから芸術音楽まで、ユーラシア大陸からアフリカ大陸、さらに南北アメリカの伝統音楽から現代の大衆音楽まで、人類のすべての音楽を楽しみ、かつ研究対象とするアプローチを鮮明に打ち出し、同時にラジオやテレビの番組を通じて魅力的な語り口で世界の民族音楽の紹介に努める。1983年没。〔平凡社書籍検索サイトより転載)このコーナーでは、その全てを研究するのは困難なので、特に国内で古い形式を残している沖縄民謡とその系譜につながる台湾の民謡を比較し、発声、旋律などを比較し、古代より、残されてきた音楽の素形となるものを発見できればと考えています。
小泉文夫記念資料室へ→研究書:■岩波講座『日本の音楽・アジアの音楽 』(全7巻 別巻2)[編集委員]蒲生 郷昭,柴田 南雄,徳丸吉彦,平野 健次,山口 修,横道 萬里雄、■『アジア音楽史』(柘植元一、植村幸生共著、音楽之友社刊)■『日本の音 世界の中の日本音楽』(小泉文夫著、平凡社刊、初版は青土社より)→その他の資料■CD捜しの手掛りに最適な本:『世界の音を聴く 〜200CD 民族音楽』(江波戸 昭著・立風書房刊)
□沖縄民謡□
■1 元々、民謡の歌詞は、年代とともに変化している。沖縄の言葉を遡る方法が求められる。さらには、変化の少ないとされるそのリズムと音階(楽器の音色)をたどる手法で他の民謡と比較するための基本形を導きだす。芸大音楽学部の左記資料もコピーが不可なので閲覧のみ。■2 地元マルフクレコードより80年代後半にCD発売された『沖縄民謡特集1』を探す。大工哲弘の八重山民謡CD『賜』は、入手!上記、沖縄の古語と民謡歌詞を比較する。○マルフクレコードのCDを購入するなら、沖縄の普久原楽器のサイトへ。沖縄民謡検索などもあり、イベント情報とともに便利!■3 フィールドワークとして「しまうた」を追いかけた仲宗根幸市の民謡論と出会う。2001年5月に沖縄に出掛けて、ようやく『「しまうた」を追いかけて』(仲宗根幸市)を購入。(以下の研究は、主にこの本によるところが大きい!)
□歌掛け□
民謡では、独唱という形式は、新しい形に属する。沖縄をはじめとする宮古・八重山・奄美諸島には、男女や集団による交唱歌が今日もいきている。本来、歌を掛け合うという習俗は、古くは日本本土やアジア照葉樹林文化地帯において、かがい、歌垣(うたがき)と呼ばれ、広く行われてきたもの。沖縄民謡ではこの側面を第一章として取り上げたい。歌掛けは、1)畦並べ(あぶしならべ)2)流れの2種に大きく分類される。また、“畦並べ”は具体的には、A)即興的な歌を男女それぞれが相手に歌いかけるB)男の歌、女の歌と内容も歌詞も決まった歌をお互いに交わすC)内容的に無関係に決まった歌を男女交互に歌うという3つの形式がある。一方、“流れ”は、歌(話)の筋に沿って歌っていく形式をいう。沖縄の「仲順流れ」、奄美の「たばこ流れ」「芭蕉流れ」などがこれにあたる。歴史的には、伊波普猷の『古琉球』によると、八重山に古くは、“パナパナ遊び”という男女が応酬する歌遊びがあり、女性が負けると男性に身を赦さなければならなかったという。これについて、仲宗根氏は、「歌垣の零落した形と思われる」と語っている。その他にも八重山のユンタ・ジラバには男女の交唱歌がふんだんに見られ、掛け合い構造もあり、トゥバラーマにもその名残をとどめている。沖縄の民謡で、抒情性の深さと掛け合いの形式が生きている歌として、仲宗根氏は、「ナークニー」を筆頭に上げている。沖縄におけるナークニーの発祥は今帰仁だと伝承されている。伝承では、琉球王朝時代、首里に御殿奉公していた今帰仁の若者が、宮古の若者の歌を聴き、その郷愁をそそるような哀愁感漂う歌に感激して、今帰仁に帰り、今帰仁風に歌い、モーアシビの場で歌い広めたということになっている。(今帰仁では、ナークニーのことを“ミャークニー”とか“ミャークンニー”と呼んでいる。)今帰仁ミャークニーの生命は、本来歌掛けである。数ある南島の共通歌詞から、その場にふさわしい歌詞を選び、男が歌えば、女が囃し、女が歌えば、男が囃子を入れる。さらに興味深い点に、仲宗根氏は注目している。それは、今帰仁では昔は各部落が小文化圏を形成しており、部落によって節回しが微妙に異なっていたらしいという点だ。(現地の古老によると、今帰仁ミャークニーの伝統的な唱法は、謝名、越地、玉城の唱法らしい。)

□流歌□

民謡のもとには、歌「流歌」がある。このウタの旋律と節(曲節)が民謡の基礎となっていることは明らかだろう。そして、この流歌の起源が「オモロ」にあることを知ることが沖縄のアジア的なルーツを知ることになる。

「流歌」の定義とは何だろう?普通、「流歌」という場合、上句八・八、下句八・六、合わせて30音から成る定型の短歌をさしている。外間守善の「南島の抒情」によると
『こうした八音と六音のルーツは、古歌謡のクェーナ、ウムイ、オモロの中に、五と三が結びつく八音的な要素が見られたり、三と三が結びつく六音的な要素が、歌そのものの発展していく新しい傾向として生まれていることから推し量ると、こうした沖縄固有の歌の自律的な律動が素地になっていると見られる。』
ということになる。そうした中でも「オモロ」は直接的な母体と考えられるとも述べている。沖縄民謡の源を知る意味でも、この項では、こうした古歌謡「クェーーナ」「ウムイ」、そして特に「オモロ」に着目してみたい。

『沖縄の言葉と歴史』(外間守善著、中公文庫):日本の古語と沖縄の古語の比較他■『南洋・台湾・沖縄音楽紀行』(東洋音楽会編・音楽之友社・1968年)、■『しまうた流れ』(仲宗根幸市著・ボーダーインク・1995年)、『「しまうた」を追いかけて』(仲宗根幸市著・ボーダーインク・1998年)■沖縄民俗音楽研究なら、沖縄県立芸術大学附属研究所久万田晋のホームページは、必見!関連文献リンクなど、前述の外間、星野両氏の文献も多数網羅されています。■財団法人 音楽文化創造で発行されている季刊誌『音楽文化の創造(cmc)』にも沖縄関連の音楽が特集される機会がある。小泉文夫資料室所蔵雑資料:雑資料番号:01548、資料名:『1973〜75年沖縄民謡採譜集 1 國頭』東京芸術大学民族音楽ゼミナール編197? 私家版,B4版の紙に簡易印刷したものを箱に入れただけのもの。639p。目次あり。分類番号:152→『賜〜八重山の願いうた』(大工哲弘/ASCD-2009 Disc Akabana)CDと歌詞紹介“ユンタ”●プログラマであると同時に三線弾きの細田祥一さんのサイト“PAI-PATIROMA”にある西表島の崎山ユンタの紹介。●サイト“マレビト音楽室”にあるユンタといえば、この歌というぐらいによく知られている安里屋ユンタの解説。●スカイ・ドッグ・サイトにあるPalle City・沖縄ページに沖縄音楽のページを発見!その中に宮古・八重山民謡の紹介コーナーが!
●『南島の抒情ー流歌』(中公文庫、外間守善著)
□台湾民謡□
■1 先住民関連の文献から、民謡と言語関連部分をピックアップする予定。○郭英男(Difang)&馬蘭吟唱隊のCD『アミス(amis)』を入手。'99年シアターコクーンでの来日公演は記憶に新しい。
台湾民間信仰研究文献目録台湾の文献ならサイト“光華(shinorama)”がおすすめ!先住文化関連の業書紹介も。

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